2013年11月25日
おっさんゲーマーの回想録(7)
今ではインターネットが普及して、家に居ながら情報集めや会ったこともない相手と趣味の話題で繋がれるのが当たり前になっていますが、それ以前、ゲーム開催や仲間集め、エアガンやカスタムのノウハウ等の情報をどうやって得ていたか想像出来るでしょうか?
俺がサバゲを始めた頃はインターネットどころか携帯電話も無く、学生の俺のアパートには電話すら有りませんでした(笑)
情報は、自分の足で外に出掛けて行かなければ得られなかったのです。
学校や職場での仲間あつめや情報交換、口コミでの広がりはもちろん大きかったです。
俺も迷彩服を着て専門学校の教室で声掛けられて仲間が出来たりしましたし。
専門誌はそれなりの役割は果たしていました。
記事の内容は先に述べた自主規制の都合がありヘビーユーザー殆どあてにしてませんでしたが、新製品情報等は得られましたし、記事の行間から実状を察するみたいな楽しみ(?)も無くはなかったのです。
広告に関しては規制の影響が少ない場合もあったので、参考になる事もありました。
ゲーム情報に関しては、当時の雑誌には読者交流コーナーみたいな物があって、「隊員募集」や「対戦相手募集」が沢山載ってました。
全国誌に実名と住所を晒す、と言う今から考えると個人情報もへったくれもないトンデモな方法ではありますが、当時は利用者も多かった様に思います。
サバゲ黎明期には、既に結構大規模なチームが存在していました。
と言うのも、サバゲが流行る以前からモデルガンを使った撃ち合いや戦争ゴッコのチームが既に存在していたからです。
現在で言うリエクナメント、ヒストリカルゲームに近い集まりもあり、サバゲ黎明期にはそれらのチームの多くがエアガンに転向、あるいは平行して参加していたのです。
サバゲのルーツが「ペイントボールゲーム」であると言われつつ、日本では独自の進化をしてミリタリーテイストが強くなったのは、この影響が大きいでしょう。
エアガンが実銃のデザインを忠実に再現する様になったのも、エアガン独自の進化をするよりも、それら既存のモデルガンマニアにアピールする方が商売として成り立ち易かったのです。
当時は町の玩具屋や模型店等を含め、エアガンを扱ってる小さなシヨップが結構あちこちにあり、そこで集まったり実際にゲームフィールドで知り合ったりと言う具合にネットワークも広がっていました。
通販は既にかなり発達していましたが、エアガン全般に製品としての成熟度が低かった事もあり、現物を見て確認して買うと言う需要は今より高く、小規模でも知識がある小売店の存在意義は今より大きかったのです。
「〇〇〇のカスタムが凄い」と評判になれば、直接見に行ったり、実際に買ったり、そして分解してみたり。
今より情報量が少ない分、フットワークが軽かったような気がします。
チューンナップノウハウに関する情報源としては、これらの小売店に商品を供給する問屋の役割も大きく、新しいカスタムパーツが出れば商品情報として発信されましたし、ゲームでの評判は店を通してフィードバックされたり共有されたりしていた物です。
とはいえ、エアガンの性能はゲームでの優位性を左右する事もあるので、お店や仲間内で発見、開発した技術を秘密にしているケースも勿論ありました。
しかし、世に出た物が長く秘密に出来る物ではありません(笑)
当時も今もマニアと言うのは情報に貪欲でしたから、有効な物は大抵暴かれて広まったと思われます。
解りやすい例はホップアップバレル等でしょうか。
逆に広まらなかった「秘密兵器」と言うのはそれほど大した物では無かったと言う事ですが、怪しげな噂だけが都市伝説のように広まったりする事もありました。
それらの都市伝説の幾つかは、今でも当時のエピソードの「実話」として耳にする事もあります。
1990年代に入る頃には、エアガンの製品としての完成度は高くなり、専門知識やノウハウを持ったショップの需要は減りました。
電動ガンの登場により、その傾向は強まります。
折しも大手家電量販店が玩具、プラモデルの売り場を拡張してエアガンの取り扱いを始め、中小のショップは販売価格で勝負が出来ず次々廃業して行きます。
最悪だったのは、その後エアガン絡みの事件が多発したり、地方条例強化の煽りを受けて、量販店が扱いを縮小したり取り止めてしまった事です。
ショップを中心にしたネットワークは小さな仲間内のグループごとに分断され、ゲームの開催が難しくなるケースも少なからず。
また、社会的な目も厳しくなり、川原や空き地、公園等でやっていたゲームは開催不可能になって行きます・・・・って、今の感覚では当然でしょうが、当時はまだまだ、おおらかな時代だったのです(笑)
インターネット普及したり、千葉県に次々と専用フィールドがオープンする以前のこの時代こそが、別の意味で「暗黒時代」と呼ぶに相応しいように思います。
さてさて、おっさんの昔ばなしもボチボチクドくなりすぎたんで終わりにしましょうか~。
結論として、「昔は良かった」とかそんな事は全然無く、今は夢のように素晴らしいよって言っておきます。
今の状況が当たり前に元からそうだった訳じゃ無いし、不満や要望はもちろん、それぞれ有るだろうけど、これからずっと変わらない訳でもない、と知って貰えれば良いですね。
俺がサバゲを始めた頃はインターネットどころか携帯電話も無く、学生の俺のアパートには電話すら有りませんでした(笑)
情報は、自分の足で外に出掛けて行かなければ得られなかったのです。
学校や職場での仲間あつめや情報交換、口コミでの広がりはもちろん大きかったです。
俺も迷彩服を着て専門学校の教室で声掛けられて仲間が出来たりしましたし。
専門誌はそれなりの役割は果たしていました。
記事の内容は先に述べた自主規制の都合がありヘビーユーザー殆どあてにしてませんでしたが、新製品情報等は得られましたし、記事の行間から実状を察するみたいな楽しみ(?)も無くはなかったのです。
広告に関しては規制の影響が少ない場合もあったので、参考になる事もありました。
ゲーム情報に関しては、当時の雑誌には読者交流コーナーみたいな物があって、「隊員募集」や「対戦相手募集」が沢山載ってました。
全国誌に実名と住所を晒す、と言う今から考えると個人情報もへったくれもないトンデモな方法ではありますが、当時は利用者も多かった様に思います。
サバゲ黎明期には、既に結構大規模なチームが存在していました。
と言うのも、サバゲが流行る以前からモデルガンを使った撃ち合いや戦争ゴッコのチームが既に存在していたからです。
現在で言うリエクナメント、ヒストリカルゲームに近い集まりもあり、サバゲ黎明期にはそれらのチームの多くがエアガンに転向、あるいは平行して参加していたのです。
サバゲのルーツが「ペイントボールゲーム」であると言われつつ、日本では独自の進化をしてミリタリーテイストが強くなったのは、この影響が大きいでしょう。
エアガンが実銃のデザインを忠実に再現する様になったのも、エアガン独自の進化をするよりも、それら既存のモデルガンマニアにアピールする方が商売として成り立ち易かったのです。
当時は町の玩具屋や模型店等を含め、エアガンを扱ってる小さなシヨップが結構あちこちにあり、そこで集まったり実際にゲームフィールドで知り合ったりと言う具合にネットワークも広がっていました。
通販は既にかなり発達していましたが、エアガン全般に製品としての成熟度が低かった事もあり、現物を見て確認して買うと言う需要は今より高く、小規模でも知識がある小売店の存在意義は今より大きかったのです。
「〇〇〇のカスタムが凄い」と評判になれば、直接見に行ったり、実際に買ったり、そして分解してみたり。
今より情報量が少ない分、フットワークが軽かったような気がします。
チューンナップノウハウに関する情報源としては、これらの小売店に商品を供給する問屋の役割も大きく、新しいカスタムパーツが出れば商品情報として発信されましたし、ゲームでの評判は店を通してフィードバックされたり共有されたりしていた物です。
とはいえ、エアガンの性能はゲームでの優位性を左右する事もあるので、お店や仲間内で発見、開発した技術を秘密にしているケースも勿論ありました。
しかし、世に出た物が長く秘密に出来る物ではありません(笑)
当時も今もマニアと言うのは情報に貪欲でしたから、有効な物は大抵暴かれて広まったと思われます。
解りやすい例はホップアップバレル等でしょうか。
逆に広まらなかった「秘密兵器」と言うのはそれほど大した物では無かったと言う事ですが、怪しげな噂だけが都市伝説のように広まったりする事もありました。
それらの都市伝説の幾つかは、今でも当時のエピソードの「実話」として耳にする事もあります。
1990年代に入る頃には、エアガンの製品としての完成度は高くなり、専門知識やノウハウを持ったショップの需要は減りました。
電動ガンの登場により、その傾向は強まります。
折しも大手家電量販店が玩具、プラモデルの売り場を拡張してエアガンの取り扱いを始め、中小のショップは販売価格で勝負が出来ず次々廃業して行きます。
最悪だったのは、その後エアガン絡みの事件が多発したり、地方条例強化の煽りを受けて、量販店が扱いを縮小したり取り止めてしまった事です。
ショップを中心にしたネットワークは小さな仲間内のグループごとに分断され、ゲームの開催が難しくなるケースも少なからず。
また、社会的な目も厳しくなり、川原や空き地、公園等でやっていたゲームは開催不可能になって行きます・・・・って、今の感覚では当然でしょうが、当時はまだまだ、おおらかな時代だったのです(笑)
インターネット普及したり、千葉県に次々と専用フィールドがオープンする以前のこの時代こそが、別の意味で「暗黒時代」と呼ぶに相応しいように思います。
さてさて、おっさんの昔ばなしもボチボチクドくなりすぎたんで終わりにしましょうか~。
結論として、「昔は良かった」とかそんな事は全然無く、今は夢のように素晴らしいよって言っておきます。
今の状況が当たり前に元からそうだった訳じゃ無いし、不満や要望はもちろん、それぞれ有るだろうけど、これからずっと変わらない訳でもない、と知って貰えれば良いですね。
Posted by こーた at 13:10│Comments(4)
│おっさんゲーマーの回想録
この記事へのコメント
ミニットマンで検索していてたどり着きました~w
たぶん自分はこーたさんとほぼ同世代wなもんで
思い切り感情移入して読み込んでしまいました。
自分もこーたさんの上京時期付近に、同じように上
京就職したんですが東北のイナカモンには関東は
楽しすぎてサバゲーはやってませんでした。お陰で
暗黒時代は体験せず…今思えばもったいない(泣)
こーたさんはどうかわかりませんが、この年になると
色々とあってなかなか時間が…でもやっぱり楽しみは
必要!ということで20数年振りにサバゲー復活を画
策&妄想中!これからも不定期でいいんでブログを
続けてください。楽しみにしています。
たぶん自分はこーたさんとほぼ同世代wなもんで
思い切り感情移入して読み込んでしまいました。
自分もこーたさんの上京時期付近に、同じように上
京就職したんですが東北のイナカモンには関東は
楽しすぎてサバゲーはやってませんでした。お陰で
暗黒時代は体験せず…今思えばもったいない(泣)
こーたさんはどうかわかりませんが、この年になると
色々とあってなかなか時間が…でもやっぱり楽しみは
必要!ということで20数年振りにサバゲー復活を画
策&妄想中!これからも不定期でいいんでブログを
続けてください。楽しみにしています。
Posted by KG9SP at 2014年07月19日 09:36
コメントありがとうございます♪
俺も東北出身ですよー。
確かに、あの頃は他の誘惑も多く、景気も良かったですから他の遊びも忙しかったですなあ。
初期の同世代のサバゲ仲間の多くは、その後車にハマって走り屋になったりとかしてました(笑)
特に、フルオートガスガン全盛になってくると、装備への投資が大きくなってしまい、他の趣味や遊びとの両立が難しくなり、離れて行ってしまった人も多かったですねー。
後に電動が普及して、カムバックした仲間もいましたー。
基本的にサバゲとかエアガンて、好きな人はなかなか完全には止められないものなんですね(笑)
今はインターネットのお陰で同好の仲間を探すのも簡単になりましたし、有料専用フィールドも多数有って人目を憚らず堂々とサバゲが出来ますし、元気の良い海外メーカーの参入で夢のように銃器の種類も増えてます。
本当に良い時代になったもんです。
とは言え、結婚が遅かったもんで、遅れて授かった愛娘のお世話が忙しくなかなかサバゲにも出掛けられませんし、欲しいエアガンもなかなか買えずに良い時代を堪能しきれないのが残念です(笑)
無理しない程度に、こっそりやってますよー。
二十数年ぶりの復活、頑張って下さい~!
俺も東北出身ですよー。
確かに、あの頃は他の誘惑も多く、景気も良かったですから他の遊びも忙しかったですなあ。
初期の同世代のサバゲ仲間の多くは、その後車にハマって走り屋になったりとかしてました(笑)
特に、フルオートガスガン全盛になってくると、装備への投資が大きくなってしまい、他の趣味や遊びとの両立が難しくなり、離れて行ってしまった人も多かったですねー。
後に電動が普及して、カムバックした仲間もいましたー。
基本的にサバゲとかエアガンて、好きな人はなかなか完全には止められないものなんですね(笑)
今はインターネットのお陰で同好の仲間を探すのも簡単になりましたし、有料専用フィールドも多数有って人目を憚らず堂々とサバゲが出来ますし、元気の良い海外メーカーの参入で夢のように銃器の種類も増えてます。
本当に良い時代になったもんです。
とは言え、結婚が遅かったもんで、遅れて授かった愛娘のお世話が忙しくなかなかサバゲにも出掛けられませんし、欲しいエアガンもなかなか買えずに良い時代を堪能しきれないのが残念です(笑)
無理しない程度に、こっそりやってますよー。
二十数年ぶりの復活、頑張って下さい~!
Posted by こーた
at 2014年07月21日 10:12

はじめまして。古い記事に突然コメ失礼します。
MGCグロック17でggっていてたどり着きました。
同じ市在住の元ゲーマー50代です。
エアタンの時代、暗黒でしたかねぇ。
まぁ確かに痛い遊びな時代でしたが、暗黒とか極悪とか
言われると、現場はそんなことなかったよ、と。
マルイ電動がゲームを変えた直前くらいには、
少なくとも私の周囲ではかなりきっちりした
レギュレーションが確立していましたし。
私は子供ができた後に身体を壊し、現状ゲームは
無理で、時折所有エアガンのメンテを楽しんでいる
程度なのが悲しいです(苦笑)
因みに多摩大橋下の第三日曜ゲームでよく仕切り
をしていた陸自新迷彩のおっさんです。
MGCグロック17でggっていてたどり着きました。
同じ市在住の元ゲーマー50代です。
エアタンの時代、暗黒でしたかねぇ。
まぁ確かに痛い遊びな時代でしたが、暗黒とか極悪とか
言われると、現場はそんなことなかったよ、と。
マルイ電動がゲームを変えた直前くらいには、
少なくとも私の周囲ではかなりきっちりした
レギュレーションが確立していましたし。
私は子供ができた後に身体を壊し、現状ゲームは
無理で、時折所有エアガンのメンテを楽しんでいる
程度なのが悲しいです(苦笑)
因みに多摩大橋下の第三日曜ゲームでよく仕切り
をしていた陸自新迷彩のおっさんです。
Posted by KEI at 2015年12月16日 08:53
KEIさん、コメントありがとうございます♪
多摩大橋ですかー、自分は神奈川住みだったので当時の活動の中心はそちらの方だったのですが、何度か遊びに行った事があるので、もしかしたらお会いしてたかもしれませんねー。
「暗黒」とか「極悪」とか言われると、自分の青春時代(笑)を否定されてるようで何となく嫌、と言うのもあり長々と書いてしまった記事だったんですが、世間で言われている「極悪ハイパワー時代」は自分の認識と違うと言う事を主張しときたかったんです。
自分の記憶を頼りに主観で書いたので、記憶違いや認識不足はあるだろうと思うのですが・・・・・KEIさんの書き込みは「やっぱ、そうだよね!!」と意見を補足してもらったみたいに嬉しいです。(笑)
多摩大橋ですかー、自分は神奈川住みだったので当時の活動の中心はそちらの方だったのですが、何度か遊びに行った事があるので、もしかしたらお会いしてたかもしれませんねー。
「暗黒」とか「極悪」とか言われると、自分の青春時代(笑)を否定されてるようで何となく嫌、と言うのもあり長々と書いてしまった記事だったんですが、世間で言われている「極悪ハイパワー時代」は自分の認識と違うと言う事を主張しときたかったんです。
自分の記憶を頼りに主観で書いたので、記憶違いや認識不足はあるだろうと思うのですが・・・・・KEIさんの書き込みは「やっぱ、そうだよね!!」と意見を補足してもらったみたいに嬉しいです。(笑)
Posted by こーた
at 2015年12月17日 13:18
