2013年11月06日
おっさんゲーマーの回想録(4)
エアタンクの登場はフルオートガスガン登場から割とすぐの事で、ホームセンター等で売っている自動車用のエアホーンのタンクを持ち込む人が現れたのが最初でした。
しばらくしてニッケンのエアガン専用品も発売され、普及したのはJACの大ヒット作となるUZI発売以降であったと思います。
高価なフロンガスを垂れ流しに使うブースターシステムは温度低下で使い物にならず不評で、ランニングコストの安いエアホーンタンクにフルオートガスガンユーザーは皆飛び付きました。
しかしエアホーンタンクは当然ですが、入っている圧力が直結でそのまま出てくると言う代物です。
圧力規制の最初はレギュレーターのないエアホーン用タンクの直結を規制する意味で8気圧位の規制でした。
今から考えると確かにとんでもない圧力ですが、まあ、初期のフルオートガスガンなんて、ガス垂れ流しでたいした性能では無かったんですけどね。
ましてや直結の場合、撃てば撃つほど圧力は下がり威力もサイクルも落ちる訳ですし、圧力が安定しない状態ではセッティングもへったくれもあったものではありません。
極悪ハイパワーの象徴のように言われるJACやアサヒのBV式ガスガン(当時はそんな呼び方は一般的では無かったですけど、以後便利なのでこの表記を使います)ですが、エアタンク登場当初は、それほど恐れられてはいませんでした。
最も脅威だったのはコクサイのセミオートM16。
外観は先代スーパーウェポン使い回しながら、唯一のM16の実用的ガスガンでした。
当時としては命中精度が高く、スナイパーライフルとしても割と長い期間活躍した隠れた名銃であります。
他にも、MGC93R等やWAのAR7等。
当初はフルオートの為に使用されたであろうエアタンクは、高圧で安定した高い威力を発揮できるので、セミオートガスガンにも使用されました。
SS9に比べても圧力次第では簡単に強力に出来るので恐れらる様になり、エアタンク登場当初に、むしろ高威力で槍玉に上げられる事が多かったのはこちらの方だったのです。
恐らく、当時としてはSS9系と公平に同等の威力にしようと言う事で8気圧ぐらいと決めたのではなかったかと思います。
当初は圧力を落とす為の可変レギュレーターは高価な為、取り付けに反発もありましたが、レギュレーター装着した方が安定した性能が出せると言う事で結局あっと言う間に普及します。
と言うか、フルオートガスガンはレギュレーター付きになってようやく、まともな性能になったと言っても良い位です。
その後エアガン用タンクとして発売されたニッケンのタンクは固定レギュレーターが標準装備されていたのですが、可変レギュレーターに交換したり、レギュレーターの圧力が高くなるように改造するのは当たり前のように行われていました。
先行して普及していたのが可変レギュレーターで、高圧設定であったので、それに合わせる為ですが、当時のフルオートガスガンはメーカー出荷状態の出来が悪く、製品のバラツキもあって箱出しで低圧作動が出来ない物が結構あったのも、これらの改造を当初から否定出来なかった理由の一つでした。
JAC、アサヒのBV式ガスガンは正常作動には5気圧以上必要だった物が多く、圧力規制は長く5~6気圧が下限だった気がします。
また、箱出しのできの悪さ故に適正にチューニングした物との性能差が大きく、チューニングノウハウの有無による格差も問題でした。
実際、撃ち合って威力が違い過ぎるので、「レギュレーションを守っていないんだろう」と言う疑心暗鬼が生まれ、チェックが甘い事もあり安易に圧力を上げる人も居たようです。
このへんの事情が現在に続く、「外部ソース=インチキし易い」のイメージ定着につながったのではないかと思います。
少し後の話にはなりますが、後発で低価格商品だったマルゼンの製品のほうが、同じBV式ガスガンながら低圧ではむしろ最初から調子が良いと言う事もあり、低圧縛りのゲームでは多く見かけました。
低予算でサバゲが始められるので低圧ゲームは新規参加者も少なくはなかったと思います。
逆に高圧縛りだと、どうしても高級品を揃えなければ厳しいし、エア消費量も多いのでエアタンクもより大容量の物が必要、(スキューバ用タンクを流用するケースもありました)エア充填にも時間がかかりゲーム数が少なくなりがち、と言う事でコアな人達しか居なくなり、人数を減らして行きました。
話は少し横道に反れますが、エアタンク登場当初は個人で空気入れを持参、エア充填するのが当たり前だったのですか、インターバルに人力で空気を入れるのはゲーム以上に重労働、時間もかかりました。
1日で4ゲームしか出来なかった、なんて事もあった程です。
後にチーム単位や主催者がエンジンコンプレッサー等を持ち込むケースが多く見られる様になりましたが、エアタンク使用者が増えると充填待ちに時間を取られる様になり、やはりインターバルが長くなりがちになりました。
待ち時間が長くなるのは嫌だ、ゲーム数を増やしたいと言う参加者の希望もあり、インターバルを短縮する必要からエアの消費を抑える為、レギュレーションで圧力を低くする事が受け入れられ易かった、と言う側面もある様に思います。
外部ソースガスガンでのゲームも末期になると、トイテックのキャリコやP90等、高圧対応やパワーアップが難しい銃も登場してきます。
それまでフルオートガスガンの主流だったBV式に比べて多弾化され、低圧で安定した作動、ガス消費が少ない、値段も安かった等々メリットもありましたが、低圧レギュレーションがある程度普及していなければ受け入れられ、使用者が増える事は無かったでしょう。
BVガスガンの「リコイル」と言うのに相応しい反動と派手な発射音の愛好家は根強く存在しましたし、強力なエアガンでスリルを楽しむと言う趣向の人達も確かに居ました。
自然発生、寄り合いでゲームが開催されていた所がほとんどだったという事情でレギュレーションの不徹底、あるいは無制限に近いゲームは2008年の法規制施行まで存在してはいましたが、1990年頃、電動ガン登場の頃には低圧、低威力のレギュレーションでのゲームがある程度定着していた様に思います。
くどいですけど、まだ続きます。
しばらくしてニッケンのエアガン専用品も発売され、普及したのはJACの大ヒット作となるUZI発売以降であったと思います。
高価なフロンガスを垂れ流しに使うブースターシステムは温度低下で使い物にならず不評で、ランニングコストの安いエアホーンタンクにフルオートガスガンユーザーは皆飛び付きました。
しかしエアホーンタンクは当然ですが、入っている圧力が直結でそのまま出てくると言う代物です。
圧力規制の最初はレギュレーターのないエアホーン用タンクの直結を規制する意味で8気圧位の規制でした。
今から考えると確かにとんでもない圧力ですが、まあ、初期のフルオートガスガンなんて、ガス垂れ流しでたいした性能では無かったんですけどね。
ましてや直結の場合、撃てば撃つほど圧力は下がり威力もサイクルも落ちる訳ですし、圧力が安定しない状態ではセッティングもへったくれもあったものではありません。
極悪ハイパワーの象徴のように言われるJACやアサヒのBV式ガスガン(当時はそんな呼び方は一般的では無かったですけど、以後便利なのでこの表記を使います)ですが、エアタンク登場当初は、それほど恐れられてはいませんでした。
最も脅威だったのはコクサイのセミオートM16。
外観は先代スーパーウェポン使い回しながら、唯一のM16の実用的ガスガンでした。
当時としては命中精度が高く、スナイパーライフルとしても割と長い期間活躍した隠れた名銃であります。
他にも、MGC93R等やWAのAR7等。
当初はフルオートの為に使用されたであろうエアタンクは、高圧で安定した高い威力を発揮できるので、セミオートガスガンにも使用されました。
SS9に比べても圧力次第では簡単に強力に出来るので恐れらる様になり、エアタンク登場当初に、むしろ高威力で槍玉に上げられる事が多かったのはこちらの方だったのです。
恐らく、当時としてはSS9系と公平に同等の威力にしようと言う事で8気圧ぐらいと決めたのではなかったかと思います。
当初は圧力を落とす為の可変レギュレーターは高価な為、取り付けに反発もありましたが、レギュレーター装着した方が安定した性能が出せると言う事で結局あっと言う間に普及します。
と言うか、フルオートガスガンはレギュレーター付きになってようやく、まともな性能になったと言っても良い位です。
その後エアガン用タンクとして発売されたニッケンのタンクは固定レギュレーターが標準装備されていたのですが、可変レギュレーターに交換したり、レギュレーターの圧力が高くなるように改造するのは当たり前のように行われていました。
先行して普及していたのが可変レギュレーターで、高圧設定であったので、それに合わせる為ですが、当時のフルオートガスガンはメーカー出荷状態の出来が悪く、製品のバラツキもあって箱出しで低圧作動が出来ない物が結構あったのも、これらの改造を当初から否定出来なかった理由の一つでした。
JAC、アサヒのBV式ガスガンは正常作動には5気圧以上必要だった物が多く、圧力規制は長く5~6気圧が下限だった気がします。
また、箱出しのできの悪さ故に適正にチューニングした物との性能差が大きく、チューニングノウハウの有無による格差も問題でした。
実際、撃ち合って威力が違い過ぎるので、「レギュレーションを守っていないんだろう」と言う疑心暗鬼が生まれ、チェックが甘い事もあり安易に圧力を上げる人も居たようです。
このへんの事情が現在に続く、「外部ソース=インチキし易い」のイメージ定着につながったのではないかと思います。
少し後の話にはなりますが、後発で低価格商品だったマルゼンの製品のほうが、同じBV式ガスガンながら低圧ではむしろ最初から調子が良いと言う事もあり、低圧縛りのゲームでは多く見かけました。
低予算でサバゲが始められるので低圧ゲームは新規参加者も少なくはなかったと思います。
逆に高圧縛りだと、どうしても高級品を揃えなければ厳しいし、エア消費量も多いのでエアタンクもより大容量の物が必要、(スキューバ用タンクを流用するケースもありました)エア充填にも時間がかかりゲーム数が少なくなりがち、と言う事でコアな人達しか居なくなり、人数を減らして行きました。
話は少し横道に反れますが、エアタンク登場当初は個人で空気入れを持参、エア充填するのが当たり前だったのですか、インターバルに人力で空気を入れるのはゲーム以上に重労働、時間もかかりました。
1日で4ゲームしか出来なかった、なんて事もあった程です。
後にチーム単位や主催者がエンジンコンプレッサー等を持ち込むケースが多く見られる様になりましたが、エアタンク使用者が増えると充填待ちに時間を取られる様になり、やはりインターバルが長くなりがちになりました。
待ち時間が長くなるのは嫌だ、ゲーム数を増やしたいと言う参加者の希望もあり、インターバルを短縮する必要からエアの消費を抑える為、レギュレーションで圧力を低くする事が受け入れられ易かった、と言う側面もある様に思います。
外部ソースガスガンでのゲームも末期になると、トイテックのキャリコやP90等、高圧対応やパワーアップが難しい銃も登場してきます。
それまでフルオートガスガンの主流だったBV式に比べて多弾化され、低圧で安定した作動、ガス消費が少ない、値段も安かった等々メリットもありましたが、低圧レギュレーションがある程度普及していなければ受け入れられ、使用者が増える事は無かったでしょう。
BVガスガンの「リコイル」と言うのに相応しい反動と派手な発射音の愛好家は根強く存在しましたし、強力なエアガンでスリルを楽しむと言う趣向の人達も確かに居ました。
自然発生、寄り合いでゲームが開催されていた所がほとんどだったという事情でレギュレーションの不徹底、あるいは無制限に近いゲームは2008年の法規制施行まで存在してはいましたが、1990年頃、電動ガン登場の頃には低圧、低威力のレギュレーションでのゲームがある程度定着していた様に思います。
くどいですけど、まだ続きます。
Posted by こーた at 16:09│Comments(0)
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